山本太郎議員が立ち上げた新党「れいわ新選組」とは?由来と政策は?

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自由党の共同代表だった山本太郎参議院議員(44)が自由党を離党し、新党を立ち上げました。

新党の名前は「れいわ新撰組(れいわしんせんぐみ)」。

ネットでも「れいわ新撰組」で大盛り上がりでした。

まずは「れいわ新撰組」のモチーフになっている「新選組」についてみてみましょう。

新選組とは

出典:Wikipedia

時は江戸時代末期(幕末)。

天皇を中心とする国家を作るために幕府を倒したいと考える「反幕府勢力」が現れました。

この「反幕府勢力」に反対し、明治維新をすることを取り締まるために発足したのが「新選組」です。

新選組の特徴は、使える君主を失い、流浪の身となった元武士である「浪士」や、町人や農民たちで構成されていたことです。

立派な武士でなくても参加できたことが新選組が多くの人から好まれる理由でした。

新撰組は主に京都で活動していました。

幕府を倒そうとする武士を捜索し捕まえることや、京都の警備、反乱の鎮圧などを任務としていました。

結局、反幕府勢力は力を増し、政治の中心を徳川将軍家から天皇家に引き渡す「大政奉還」が実現します。

大政奉還が行われた翌年の1868年、新選組は旧幕府軍とともに戊辰戦争に参加し、多くの戦争に参加しますが少しずつ敗北していきます。

最終的には北海道の函館(箱館)で、新選組副長の土方歳三が銃弾に当たって戦死すると、新選組は降伏しました。

山本太郎議員はなぜ「れいわ新選組」という名をつけたのか?

幕末に活躍した新撰組は大政奉還という大きな政治的出来事の後に解散します。

なぜ、山本太郎議員は自身の政党に「れいわ新撰組」という名前を付けたのでしょうか。

新撰組は位の低い武士や町民や農民などの、権力の外にいる人たちが集まってできた集団で、大変高い志を持っていたことが多くの人に好まれています。

山本太郎議員のことを志の高い人だと考えていない人にとっては、「新選組」の名を名乗ることが許せない、という気持ちの人もいたようです。

これまでにいろいろと推測されてきましたが、なかなか山本太郎議員の口から名前の由来について語られることはありませんでした

現代ビジネスでの対談で、以下の記述がありました。

「令和の時代に、新たに選ばれる者」との意味を込めて立ち上げられたという「れいわ新選組」

割と分かりやすいネーミングだったのですね。

山本太郎議員は今の閉塞感のある日本社会を変えるには、消費税の段階的な廃止を訴えています。

これまでの政策とは180度違う考え方と言っても過言ではないでしょう。

新たに選ばれるものになるのか、今後の行方を注目したいと思います。

山本太郎議員のプロフィール


2012年12月山本太郎議員は「新党 今はひとり」を立ち上げます。

2013年7月の参院選に東京選挙区から出馬し4位で初当選。

2014年3月に名称を「新党ひとりひとり」に変更。

2014年12月に「生活の党」に入党。党名を「生活の党と山本太郎となかまたち」に改名。その後、「自由党」に党名を変更しました。

2019年4月10日、「自由党」を離党し、「れいわ新撰組」を立ち上げることになりました。

れいわ新撰組 山本太郎議員の主な政策

消費税を5%に引き下げ、将来的に撤廃。必要な場合は大資本家から増税する
金融緩和と財政出動でデフレ脱却、財政健全化へ
憲法9条改正と集団的自衛権の行使に反対
日本の核武装の反対
選択的夫婦別姓制度導入に賛成

まとめ:山本太郎議員の「れいわ新撰組」

山本太郎議員が立ち上げる「れいわ新撰組」は当初山本太郎議員一人が所属するそうです。これまでも政党を作って山本太郎議員一人が所属することが多かったですが、そのほうが山本太郎議員にとってやりやすいのかもしれません。

「新選組」は明治維新に反対し、最終的に函館で降伏することになりますが、「令和新撰組」は降伏することなく頑張っていただきたいと思います!

 

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